『待つ』寄稿文(1)  根本 コースケ(ベビー・ピー)

 今回は日本近代プロジェクトの第五弾にして最終回。ドイツへ三年旅立つ前の決着編ということらしい。第一弾で取り上げた太宰治の『待つ』を、今回はなるべくテキストをいじらず俳優の身体で真っ向勝負で取り組むとのこと。俳優は二人。男と女。三十路入りの男と二十歳前の女。同じテキストを二人の俳優が演じる。俳優それぞれの『待つ』の間に、占い、坂口安吾の小文「阿部定さんの印象」をテキストに据えた俳優同士の絡み、ダンサーの落下と浮上など、不思議の時間が挟まっていく。そんな重層構造の劇を会場である「蟻鱒鳶ル」がさらに大きく包みこんだ構成の作品だった。

 

 蟻鱒鳶ルは、建築家の岡啓輔さんが三田の12坪ほどの土地に建築中の自宅で、地上三階地下一階の鉄筋コンクリート造の建物である。業者を使わず重機も使わず、9年間、自分と友人だけでセルフビルドで建てている。自身が舞踏をしていた体験から「即興性のある建築」を建てようと、1年以上かけてスコップで穴を掘り地下室をつくり、その後、70センチずつ型枠をつくり、少しずつ、踊るように、コンクリートを積み上げている。上質な砂とジャリを水セメント比37%で混ぜたコンクリートは、専門家から「200年保つ」とのお墨付きを得る。

 

 公演当日、客は白金高輪の改札前に集合する。全員が集まると、三田界隈を散策しつつ会場を目指す。細い路地の坂道を登りいくらか歩くと蟻鱒鳶ルが見える。ぐるっと遠巻きにビルを眺めながら坂を下り、通りを渡って折り返し、また坂を登りようやくビルへ辿りつく。中へ入るとすぐ、90センチ四方くらいの開口部にあまり安定のいいとはいえない脚立がかかっており、その不安定な梯子をひとりひとりが降りて会場の地下へと案内される。地下だが、建築中のせいか、特殊な建物構造のせいか、空が見える。20席程度の客席と舞台。床面は打設されておらず、客席は近い未来コンクリートになるべく待機しているジャリと砂の斜面の上にブルーシートをひき座布団をしいたもの。舞台は一応整地された土舞台である。舞台中央に、生き物のような蟻鱒鳶ルをまさに生み出しているコンクリートミキサーの機械が置かれている。簡単な前説ののち、劇は始まる。

 

 さて、この蟻鱒鳶ル、田町品川地区の再開発区域に掛かっており、数年前から立ち退きを迫られている。行政や業者との話し合いが続けられ、曳家(レールなどで建物を壊さずそのまま動かして移動させる方法)の可能性なども検討されている。また、近隣にこの得体の知れない建造物を快く思っていない住民がいるようで、もしかしたら上演中に通報が入り途中で劇が中止される可能性がある、そんなことも客は会場へ来る途中や前説でそれとなく知らされる。幸い、両日とも劇は中断されることなく終演した。劇の後、初日は岡さん自身による、二日目はそれを脳裏に刻み込んだ演出の坂田による、蟻鱒鳶ルの解説&ツアーがあり、ゆるやかに散会となった。

 

 6.5/w日本近代プロジェクト第5弾『待つ』は、かなりへんてこな演劇公演だったといえる。しかし、我々が自分たちの立つところの社会や世界を批評的に捉えかえす取組みとしては、人類古来の方法を、「日本」の「近代」において、かなりまっとうに踏襲した企画だったともいえよう。つまり、これは、異界探訪だった。イザナキが黄泉比良坂をくだりイザナミに会いに行くように、オルフェウスが冥界に妻を取り戻しに行くように、スタンド・バイ・ミーの少年たちが森に死体を見に行くように、私たちは不思議の道を通り、坂を登ってくだってまた登って、この世ならざる建造物へと案内される。地下深くへ降りて、そこである芸能/物語/儀式に立ち会う。そして、再び地上へ戻る。これまでとは違った目で、世界に相対する。神話に語られるこれらの往きて還りし物語は、共同体の古の通過儀礼を物語化したものと言われている。ある年齢に達した者たちが共同体の外部へ出て行き、そこで一度死に、共同体を背負って立つ構成員として、新たに生まれ変わって還ってくる。古くはバンジージャンプなどに代表される、近代では秘密結社や芸術クラブなどで執り行なわれたような、擬死と再生の通過儀礼。この企画を通して、我々のなかの何が死に、何が生まれ変わったのか。

 

 建築・土木の世界ではコンクリートの耐用年数は40年と言われている。ところが、蟻鱒鳶ルのコンクリートは200年保つ。これは何故か。岡さんは、呆気ないほど簡単に理屈を説明してくれた。コンクリートは水と砂とジャリを混ぜて出来上がる。それぞれを混ぜた瞬間からセメントの硬化は始まるらしい。普通の建築現場では、なるべく一度に大量のコンクリートを打とうとするため、なるべく多くの水を注入する。セメント工場で水を大量に入れて柔らかくしたコンクリートを、ミキサー車でかき混ぜて固まらないようにしながら建築現場まで運び、打設する。すると、40年は保つコンクリートが出来上がる。一方、蟻鱒鳶ルのコンクリートは現場でかき混ぜるため、混ぜたのちすぐ打設できる。すると水の量を最低限におさえることができる。すると、耐用年数200年のコンクリートができる。

 

 踊るように建てる。鉄筋を編み、型板を組み、セメントを混ぜ、流し込み、そして、固まるのを、待つ。板をはずし、現れたものに驚き、笑い、それを愛で、次の一手を考える。建てるあいだに、現れる人、関わる人、起こった出来事を、強くしなやかに含みこみながら、危機をすら楽しむ。200年後の世界を夢想する。耐用年数40年とは、つまり、近代の論理である。大量生産と大量消費の論理。それが限界が来ていることは誰もが知っている。しかしそれをとめることを私たちはなかなかできずにいる。蟻鱒鳶ルは、いま、耐用40年の再開発計画に相対している。私たちは200年先の未来を構想することができるか。40年、200年というのは、文章上で目にする限り、ひとつの概念にすぎない。しかしこの公演の参加者は、身体で、それがどういうことかを知っている。それは、あきらかに私たちの身の回りにあるコンクリートとは違ったツヤを持ち、手触りを持つ。そこには、生き物の時間が流れる。通過儀礼をくぐった一人として、踊るように、この問題と対峙して生きていこうと思った。

 

 最後に、6.5/wについて少しだけ。この集団、というか夫婦、というか家族。このサイズに、大きな可能性と力強さを感じる。普通、演劇って、もっとスタッフを集めて、座組みの中で分業を図っていくもののはずだが、どうもここはそうではない。別の言葉でいうと、自分の、自分たちの身体で考える、取り組む。そのことが徹底されている。そのことにごまかしがない。そこが、この集団の他にはない魅力だと思う。そこにおいて確かに安定していて、他を巻き込む包容力が在る。そこは、本当にすごいなーと思ったのであった。それが蟻鱒鳶ルおよび岡啓輔と確かに響きあっていたのだと思う。蟻鱒鳶ルという「場」の絶対性、それを見事に客の身体に刻みこんだ公演形態の絶対性に比べて、「待つ」というテクストを騙る俳優の演技と身体に圧倒的な絶対性が降りていたかというと、まだ、先はあるような気がする。そのことを割り切って企画性だけに特化した戦略を立てているわけでもなく、あくまで彼らは「演劇」を信じて、それに拠って立とうとする。そのもがもがとした信念(?)、諦めの悪さ(?)と、「日本」「近代」「プロジェクト」という直球な問題設定と取組みと、それを徹底して自分たちの身体で受け止めきるところの逃げのなさと、その絶妙なブレンド具合。これかららもきっと変わらずに変わりつづけていくのだろう。末永くお付き合いしたいと思った次第。

 

 今回場を共にした皆様、招いてくれた6.5/w、岡さん、ありがとうございました。これからもよろしく。また会いましょう。

 

根本コースケ(ベビー・ピー)

 

(寄稿者プロフィール)

作家・演出家・俳優。ベビー・ピー主宰。

胎児より小学校6年まで母親が参加していたものがたり文化の会が演劇の原体験。高校の文化祭での演劇が第二次原体験。大学で京都へ行き本格的に演劇を始める。

2002年、ベビー・ピーを旗揚げ。活動の9 割が野外テントなど劇場外スペースを活用した公演。

アーティスト・山さきあさ彦が製作するぬいぐるみ(山ぐるみ)を使った人形劇、漫画「ジョジョの奇妙な冒険」を再構築した「ジョジョ劇」など、既存の枠組みにとらわれない活動を全国各地で展開中。