演劇学者ハンス=ティース・レーマンさん

演劇批評家ヘレーネ・ヴァロプルーさんpart2(2013年5月10日)

 

part1の続き)

 

――私はこれまでそれほど多くのドイツ語圏の上演を見たわけではありませんが、印象として二つの傾向ないし欲求があるように思います。一つはあなたが仰るような、とても簡単に言えばオルタナティブな方向。二年前にあなたは日本での講演で、現在は偉大な個人の才能から集団作業へと移行しつつある時期だと仰いました。リミニ・プロトコルやSheShePopやゴブ・スクアッドなど。しかしもう一つの傾向として、言わばドラマ演劇、物語への回帰のようなものが感じられるのです。

 

 

 

(レ)物語、語りですね。

 

 

 

――そうです。これらは相反するようにも思えますが、例えばミヒャエル・タールハイマー演出の『メディア』には、この双方の間での迷いが見られました。私の意見では、特別画期的な解釈や発想があった訳ではありませんが、とても美的に『メディア』が表現されていた。しかし同時に、メディアアートが子殺しという非常に重要な場面で用いられていました。これは、ドイツ語圏の演劇が、現在ある種の混迷の中にあるという象徴的な事象だったと思われるのです。

 

 

 

(レ)おそらくそう解釈することもできると思います。一方にメディアテクノロジーによるスペクタクル的な要素を好まず、パフォーマーの言葉や身体に回帰する流れがあり、にもかかわらずメディアによるスペクタクルがまた一方で現れる。

 

 

 

(ヘ)私はこの現象について記述した事があります。ドイツ語圏の演劇における秩序への回帰は、統率者なき新しいグループによる集団作業の流れへの対抗点なのだと思います。名を成そうとする芸術家や演出家は、自分のコンセプトを偉大な俳優によって表現したいと考えるのは普通の事です。その際にテクストがやはり中心的な役割を果たすことになるでしょう。著名な演出家がこの傾向に向かっているのは、悪い事とは限りません。彼らは名優も名演出家もいない集団作業に対するアンチとして、数多くのグループが存在する広大な光景におけるレジスタンスとして行っているのです。ある人はこうやる、別の人はこう、また別の人はこう、コロス演劇とか、演劇外の演劇とか、素人を舞台に上げるとか、あまりにも多様な活動で満ち溢れた光景におけるリアクションなのです。

 

 

 

(レ)その点タールハイマーについて重要なのは、彼が『エミーリア・ガロッティ』から『メディア』に至るまで、長年にわたって少数のグループと一緒に活動してきたという事です。そこでの仕事が様々に発展していくのも当然でしょう。とりわけパフォーマー、例えば『メディア』のコンスタンツェ・ベッカーのように、突出した存在も現れてきます。比較的古い作品においても、俳優が早口でしゃべり、観客の集中を要求するのですが、にもかかわらず非常にパフォーマティヴな瞬間を造形することに長けていました。

 

 

 

(ヘ)でもタールハイマーはシステムに属しています。彼は、70年代のペーター・シュタインのように、演出芸術というシステムの中で偉大な演出家となりました。システムにおける演出芸術の発展を見逃してはなりません。舞台を使わないとか、機械を使わないとか、名優を使わないとか、そうした演劇の外部を志すグループの活動とは無関係です。『エミーリア・ガロッティ』はまさにそうです。名優、映画音楽、全ての要素が演出演劇として機能していました。演出演劇の歴史があるのです。それは過小評価してはいけません。それからやっとパラレルなシステムの話になるのです。演出演劇と、新しいグループの活動とは混同してはならない。理念が違います。

 

 

 

――もう一つ別の事例についてよろしいでしょうか。今回私はベルリンで6本の演劇上演を見ましたが、その内5本で上演中に音楽家が登場して生演奏が行われました。これは偶然とは思えません。つまり多くの演出家が音楽と演劇の越境を試みているのだと思いますが、私には音楽家と音楽の使い方そのものが、上演における副次物として扱われているように見えてしまいました。演出家にとって音楽が、単なる一つの道具に過ぎないのだとしたら、演劇と音楽の相互作用が生まれるのかは疑問です。彼らは音楽を演劇に従属させようとしているのではないでしょうか。もちろん音楽だけではなく、映像や美術に関しても同じことが言えると思うのですが。

 

 

 

(レ)ええ、確かにそのように理解することもできるかもしれませんが、私にはさほど問題だとは思えません。実際にパフォーマーが行為するという現実性に集中させる効果だと思いますが。

 

 

 

――もちろんです。しかし、必ずしも音楽家が居合わせなくても、録音でも変わらないのではないかと思ってしまったことも事実です。

 

 

 

(ヘ)昔も今も、演出家にとって音楽は、他の要素と同じ一つの手段です。伴奏にしろ主導音楽にしろ、舞台上あるいは舞台下に少数のオーケストラがいて、音楽を演奏するのはずっと前から行われている事です。音楽は、照明や美術と同様、他の舞台の要素と同じ演出の手段であって、もうずっと以前から様々な方法で用いられてきました。ですから私には、それは特に問題とは思えません。それは演出の仕事です。例えばケティー・ミッチェルですが、彼女はパフォーマーの行為とそれを同時に撮影した映像を用いて、独自の演出手法を発展させました。それは確かに手段ですが、独自の演劇言語を構成する一つの美学です。

 

 

 

――はい、もしも複数のメディアによる調和や共通の効果が生まれるならば、それは素晴らしいことだと思います。けれども少なからぬ上演において、生演奏が単なる添え物、BGMとして用いられているのは、それと異なるのではないでしょうか。演技と音楽が完全に分離してしまったりする場合には。

 

 

 

(レ)音楽が、単に何か素敵な物として用いられ、実際に演奏されるという行為に対して無自覚である限りにおいて、あなたの仰ることも分かります。ただそう性急に一般化はできないでしょう。例えば先日ローラン・シェトアンヌの『M!M』を見ましたが、彼はその点については非常に一貫しています。つまり演劇における言語の禁欲的節制という事ですが、このダンス公演では突如としてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を丸ごと流しました。何故突然音楽を使うのかと言う事もできるかもしれません。これは稽古によって作られた上演で、生演奏をする訳ではありませんが、ダンサーの身振りはとても興味深い試みであり続けました。言わば日常性とダンサーの技術との間に、観客とのコミュニケーションの別のあり方を開く第三のレベルが生み出されたのです。これも表面的に見れば、単なる自明な効果として音楽を使った、既存のシステム内部に回帰する上演の例だと言えるかもしれませんが、そう性急に解釈すべきではありません。音楽は古代以来演劇の要素の一つであって、会話劇をダンスや音楽劇から厳密に切り離そうとするのは愚かな矮小化に過ぎません。私は現在、コンサートやインスタレーションや、講演や理論書の朗読、会話やコーラスなど、あらゆる可能性が演劇に存在する事が重要だと考えています。演劇における正しいやり方などと言う事はできないと思います。演劇は常に周縁的な現象なのです。そして常に思い起こすべきなのは、芸術的・政治的・社会的な困難に際してどのような振る舞いが可能かと考える事であって、特定のやり方や傾向を要求する事ではありません。やり方や傾向は無数にあるので、決まったやり方があるはずだと考える楽天主義者には辛いでしょう。いまだにパフォーマーよりも演出家個人のビジョンに集中する演出演劇は根強いですが、その一方で異なるやり方の演劇表現も数多くあります。

 

 

 

――ひょっとしたらあまりにも根本的な問いに過ぎるかもしれませんが、ドイツ語圏の公共劇場システムは、今後も中断なく続いていくでしょうか?それとも今は大きな変革の時なのでしょうか?

 

 

 

(レ)変革の時だと思います。しかしこの変革というのはとても長いものです。ドイツの劇場制度は当然長い伝統があり、長い轍を刻んでいます。ブレヒトがうまい事を言っていますが、「私の祖父はすでに新時代に生きていたが、私の孫は多分まだ古い時代に生きているだろう」というものです。しかし芸術的に見れば、装置がとても大きな役割を果たしていると思います。以前のように、真実らしく見せるという役割はもはやありませんが、それでも制作上の重要な手段になっています。装置によって、装置の中で、その装置そのものと批判的な距離を取ることが重要になっている。ドイツの公共劇場制度がただ衰退していく事はないと言いたいものです。何故なら常に様々な制作上の手段が新たに試みられているからです。他の国々よりもその点では恵まれていると思います。要するに、変革の時には違いないでしょうが、変革というのは5年やそこらで一つや二つのラディカルなグループによって成されるものではないという事です。

 

 

 

(ヘ)「公共劇場(Staatstheater)」という概念はもう少し明確に使う必要があります。この文脈では「制度(Institution)」と言うべきでしょう。「演劇制度」です。もちろんドイツには豊富な公共劇場があります。しかし、多くの新しいグループが問題提起をしているのは、もっと大きな「演劇制度」についてです。これは公共劇場ばかりが問題なのではありません。例えばフェスティバルなど、公共劇場以外にも多くの演劇制度が存在します。規模の大小、経営の形態など様々ですが、そうした制度の国際的な大きなネットワークについて考えなくてはいけません。つまり、演劇制度については様々な考察の可能性があるのです。公共劇場が変化したとしても、演劇制度は変わらないという事もあります。総合病院が個人経営になったからと言って、病院そのものは変わらないというようなものです。公共劇場であるか否かに関わらず、ヨーロッパにもアメリカにも、様々に制度化された演劇システムが存在しています。

 

 

 

(レ)もう一つ別の要点も確認しておきましょう。私の理解では、システムと言った場合、それは当然システム自体が変化を希求しているという事も含意します。システムは一度できれば終わりではなく、システム自体に、たとえ表面的だったり、一時的な流行であったりするにせよ、変化を促す作用があるのです。例えばフェスティバルを例に取れば、公共劇場に比べれば理論的プログラムは少なく、変化は表面的なものに留まりがちとは言え、それでも毎回徐々に変化していきます。ドイツの劇場制度についても、制度外の新たな演劇言語を吸収しようと試みることで、発展を続けています。

 

 

 

(ヘ)或いは新しい制度です。初めは劇場と言えば王立劇場であり、国立劇場でした。その後市立劇場が、さらに民営の劇場が現れました。ヨーロッパは一つの広大な大陸であり、各国は少なくともこの2世紀の間、常に新たな制度概念によって演劇制度を刷新してきました。私立制度、公立制度、また国立劇場もあれば別の形態の劇場もある。多数の演劇制度のシステムがあります。

 

 

 

(レ)二つ具体的な例を挙げましょう。ヤン・ローワースは、1980~1990年代にマージナルな領域で活躍しました。ザルツブルクの大きなドラマ的演劇祭で、とても挑発的な上演を行ったり、システム内における新たな要求を先取りしたと言えます。ヤン・ファーブルもまた、世界的に言わば古典主義的と見なされていたアヴィニョン演劇祭のディレクターとして非常にラディカルな試みを続けました。すなわち、システム自体に常に新たな流れに適合し、発展していく可能性が含まれるのです。ですから、その発展をあらかじめ予測する事は困難です。単に同じであり続ける事はありません。ある要素が保持されたり、時代に合わせて変革されたりします。もちろんその中で、その制度の根幹であるような重要な部分が失われてしまう事もあるでしょう。しかし常にそうとは限りません。アドルノによれば、「資本主義的文化経営は何物も除外しない。良い物すら除外しない」あるシステムの中で何か良い物が作り出されれば、それは広い共感を呼ぶものです。

 

 

 

――テアタートレッフェンに関して言えば、確かに近年フェスティバルや複数の劇場の共同制作による上演が招聘される事が多いように思います。

 

 

 

(レ)そうです。ただ二人の知人から同じ意見を聞いたのですが、今年のテアタートレッフェンはかなり保守的なラインナップになったそうです。

 

 

 

(ヘ)ええ、それは私も言いたいと思っていました。テアタートレッフェンはもう長い事そうです。

 

 

 

(レ)今年は特に保守的ですね。一昨年は例えばSheShePopが招聘されたり、多様な上演があったのですが。

 

 

 

――私も今年は特に保守的な上演が多いのではないかと思います。

 

 

 

(レ)そうでしょう。ただ選考委員は毎年変わりますから、そういう事もあるでしょう。来年はまた違うかもしれません。演劇祭は常に、ある種の流行に左右されるものです。

 

 

 

――ですが、フランツ・ヴィレは毎年選考委員に加わっていますね?そういう意味でも、あまりラディカルな変化は起きないのではないでしょうか。

 

 

 

(レ)それはそうです。招聘される上演の定義は「ラディカルな上演」ではなく「注目に値する上演」です。つまり、いまだ多くの保守的な観客層の好みが反映されるのです。例えば一昨年のSheShePopの『TESTAMENT』は…

 

 

 

(ヘ)でも何故あの上演が招聘されたかと言えば、大きな成功を収めたからですよ。注意深く見ていれば、観客の大きな支持を集めた上演が招聘されている事が分かります。招聘されるのが演出演劇にせよ集団創作にせよ、多くの人口の口の端に上る上演なのです。

 

 

 

(レ)演劇人口(笑)。

 

 

 

(ヘ)そうです。若い客層にはリミニ・プロトコルやSheShePopが人気があり、それ故に招聘されたのです。

 

 

 

――昨年はゴブ・スクアッドも来ましたね。

 

 

 

(ヘ)その通りです。国際的に成功を収めたからです。そこにはちゃんと理由があるのです。ドイツ語圏における重要な上演。では重要な上演とは何か?多くの人がそれについて語り、多くの人が見た上演です。

 

 

 

(レ)そこは変化が起きているかもしれませんね。また別の評価基準もあるでしょう。ただ成功を収めたというばかりではなく、むしろ小さなグループの上演において、観客は少なくても様々な手法によって興味深い演劇体験を引き起こした場合もあります。時にそうした小劇団が、テアタートレッフェンに招聘されることで有名になり売れていくことがありますが、私が思うに、しばしば大劇場での演出よりも、そうした小さなグループでの試みの方が、面白い演劇体験を作り出していたりするものです。つまりは大劇場での有名な演出家の上演も、小さなグループの上演も合わせての、総合的な評価という事ですよ。

 

 

 

――なるほど。最後の質問になりますが、私は修士論文で、エキスパートシアターの新たな可能性の事例として、SheShePopの『TESTAMENT』の分析を行いました。エキスパートシアターという概念はまだ日本ではあまり知られていませんが、そこには俳優の歴史に対する新たな問題提起が存在すると思っています。ただ、この概念が単なる一時的な流行に留まるのではないかという疑問も持っています。この分野ないし傾向の将来的な可能性について、どのようなお考えをお持ちでしょうか?

 

 

 

(レ)お先にどうぞ。

 

 

 

(ヘ)これは興味深い問題です。いわゆる日常のエキスパート、つまり俳優の訓練を受けていない素人と芸術家の関係については、例えば中国のム・シェン(?)を思い起こします。彼は1990年代に病院の患者や素人を舞台に上げて共同作業を行いました。これは現在のリミニ・プロトコルやSheShePopの活動とよく似ていますが、違うのは、当時素人を用いるのは流行でも何でもなかったという事です。ム・シェンは、インスタレーションと芸術的経験の境界の芸術家であると言えます。当時そう厳密に定義された訳ではありませんが、ともかく素人演劇の伝統から生まれた試みです。その後登場したのが、プロの俳優ではない人々を舞台に上げることで、社会的・日常的な現実を演劇に導入したヘルマンネス(?)です。それからようやくドイツで、非常にシステマティックにこの現象が現れているのです。ドイツでは、素人演劇の伝統はそれほど長いものではありません。ですからブレヒトが重要なのです。ドイツにおいては、概念を理論化してシステム化する所が、他の文化圏と大きく異なっています。例えばヘルマンネスやム・シェンは、自身の仕事を理論化しようとはしませんでした。哲学や他の領域と結び付けて彼らの活動を論じる理論家もいません。ドイツでは何かの現象が現れると、必ずと言って良いほど理論化がなされます。ですからドイツで論じられている事は、必ずしも独自のものばかりではありません。

 

 

 

――ドイツにおいて、演技論など演劇学の領域で素人についての研究はあるのでしょうか?

 

 

 

(レ)ないと思います。リミニ・プロトコルが活動を開始したのはギーセンですが、当時彼らが関係づけられたのは、役を再現するのではなく、自分自身の個性が表現の中心になるという意味で、むしろパフォーマンス研究の領域でした。リミニ・プロトコルはここに突破口を見出したのです。プロの俳優のいない、芸術的・美的演劇というテーゼです。

 

 

 

(ヘ)他には、例えばオランダで、ドイツと同様理論化が行われています。

 

 

 

(レ)確かにそうです。しかしリミニ・プロトコルに関する言説は、素人という概念の省察に基づいて発展していきました。彼らが言うには、舞台に登場するのは確かにプロの俳優ではないが、素人でもない、彼らはエキスパートであって、ある種の専門家だと言う事です。単なる素人というだけではなく、実際に演劇的効果ももたらすエキスパートについて、理論と実践の双方から着目する事が必要です。

1968年世代の、観客を俳優と一緒に舞台に上げて上演を構成するという手法、例えば『カフェ・ドゥチュケ』はこのような例だと思いますが、それと同様に、必ずしもプロの俳優が演劇に必要とは限らないという事です。ある演出に従って、プロの俳優ではない人々のオーセンティシティが現れることによって、プロの俳優にも比較し得る舞台効果が生まれるのです。これは、とても創造的な発展だと私は思います。俳優の名人芸主義とは異なる演劇の可能性でしょう。ちょうどダンスでも、名人芸によらないダンス制作が様々に行われています。観客と、従来の名人芸的技術の双方に対して距離を取ることで、そこに芸術としてのコミュニケーションが生まれます。こうした傾向は明らかにあると思います。もちろんその反面、タールハイマーのような存在もいるのもまた事実です。

 

 

 

(ヘ)言説化の転換についても話しておきたいのですが、リミニ・プロトコルの多くのとても興味深い試みは、エキスパートという理論を打ち立てました。多くの国で、政治的・芸術的を問わず、プロの俳優という枠組みを変革する試みが行われていますが、ドイツが重要なのは、それを言説によって理論化したという事です。それがまた新たな評価や判断基準になります。イタリアでアウグスト・ボワールが一般の人々と一緒に政治演劇を作ったり、或いはソチエタス・ラファエロ・サンチオで、ロメオ・カステルッチが、身体障碍者と作品を作ったり、そうした活動は確かにあります。しかし、それらは十分な注目も受けず、また十分に理論化されている訳でもありません。リミニ・プロトコルは、自身の言説を発見し、理論武装を行いました。それ故に、彼らの活動は演劇における新たな居場所を作り出すことができたのです。正当な居場所を。

 

 

 

(レ)もう一つ重要なのは、演劇のリアリティについての問題提起でしょう。リミニ・プロトコルの上演に際しては、演劇がリアリティを持つとはどのようなことかという省察が存在しています。単純に、芸術作品が事実を映し出すという事ではなく。ともかく、時間的なズレが常にあるとは言え、演劇作品に対する言説化の努力は常になされています。

 

 

 

(ヘ)その結果「エキスパートシアター」「日常のエキスパート」という、彼らの活動の基盤となる言説が生まれたのです。イタリアにテアトロ・エスティモーニオというグループがありました。一般人を舞台に上げて、自身の経験について語らせました。或いは老人達による演劇など、リミニ・プロトコルやSheShePopや、およそあらゆる現代ドイツのグループに先んじて、そうした素人を用いた上演というのはあったのです。しかし、そうした上演は全て、何か特殊な、副次的実験という風に考えられていたのです。

 

 

 

(レ)牢獄で囚人と一緒に演劇を作った例もありました。しかしそうした運動は、1990年代以降の事です。80年代に確立された形式に対して、90年代にはリアリティの問い直しが起こったのです。現在も、常に二つの作用があると言って良いでしょう。今起こっている流れを、芸術の枠組みにおいて確立しようとする動きと、同時にそこから解き放とうとする動きです。

 

 

 

――本日はどうもありがとうございました。12月にまたお目にかかれるのを楽しみにしています。

 

(2013年5月10日)

聞き手・翻訳:寺尾恵仁