演劇学者ハンス=ティース・レーマンさん

演劇批評家ヘレーネ・ヴァロプルーさん part1(2013年5月10日)

 

(ハンス=ティース・レーマンさん、以下レ)今年の12月にまた日本に行くことになりました。おそらく悲劇論や演劇と政治の関係についての話をすることになると思います。

 

 

 

――とても楽しみです。しかし今年もヨーロッパ中でお仕事をなさっているんですよね。

 

 

 

(レ)はい。なかなか授業や講演から自由になれません(笑)。でも好きでやっている事ですから。今はライプツィヒで大きなゼミを二つ、今冬にはイングランドのカンタベリーで、来年にはカナダで小さな仕事があります。世界中を回っていますね。でももう私も70歳ですから、数年経てば難しくなるかもしれません。今のところは、ビジネスクラスでなら、どうにか移動できますが。今年は、ファルク・リヒターと一緒に、デュッセルドルフのビューヒナーフェスティバルにドラマトゥルクとしても関わりました。これはとても楽しかった。ヘレーネが来たので、日本の事についてのお話をどうぞ。

 

 

 

――ありがとうございます。2011年の震災以降、日本では社会を変革あるいは改善しようとする大きな動きが見られました。しかし、ご存じの事と思いますが、昨年の総選挙でかつての保守派政権政党が圧勝しました。

 

 

 

(レ)そうですね。あなたご自身は、この結果をどのようにご覧になりますか?日本での反原発運動はとても大きかったように思うのですが、経済への不安がそれに勝ったと理解して良いのでしょうか?

 

 

 

――確かに運動としては盛り上がりましたが、政治的結果には結び付きませんでした。私の印象としては、この結果はインテリジェンスの、リベラリズムの、そして民主主義の敗北ではないかと思います。震災以降、誰の言う事も信じられない、確たる情報がないというひどい状況を多くの人が体験してきました。この選挙の結果は、言わば民衆の失望の表れではないかと思います。もう何かをしたくない、もうことを荒立てたくないという欲求の表れです。

 

 

 

(レ)ドイツの歴史でもそのような現象が起こったことをご存じでしょう。破局の後の混乱、その反動としての保守化などです。これは多くの国や場所で見られる反応だと思います。ひょっとしたら、いずれ状況は改善するだろうと、希望を持つしかないのかもしれません。

 

 

 

(ヘレーネ・ヴァロプルーさん、以下ヘ)日本政府の震災への対応が良くなかったという事はニュースで聞きました。情報公開が遅れたり、対応が後手に回ったと。

 

 

 

――その通りです。そこで私が自問しているのは、このような状況に対してインテリや芸術家にできることとは何なのか、という事です。

 

 

 

(レ)ええ、それは本当にどこの国でも芸術家が直面せざるを得ない問題でしょう。ひょっとしたら、人が何かに大きな影響を与えうるという考えに別れを告げなくてはならないかもしれません。できるとしても限定的なものにならざるをえない。ハイナー・ミュラーが言い得ていますが、「ないよりはまし(無と少量の違い)」ということです。演劇では、やはり「(政治演劇ではなく)政治的に演劇を行う」という観点が重要だと思います。プロセスそのものに焦点を当てること、実践としての演劇です。演劇はテーゼでも、社会についての宣言でもないのです。マスメディアと違って劇場に集まる人間の数というのはたかがしれています。だから演劇ではイデオロギー的に大きな影響を与えることは望めません。ただ人がどのように物事を見て、どのように行動するかというやり方、範例としての性格を演劇は持っています。そして、同じような民主主義についての問題は、ヨーロッパにもあります。民主主義的プロセスがなおざりにされ、経済的・経営的プロセスが優先されてしまう。そしてそれが危険なことになりうると、ある日突然気付くのです。実際に今ギリシャやポルトガルやイタリアで起きているのはそういうことでしょう。現実的な危機が高まると、過激な反動的勢力がもてはやされるようになる。移民排斥や、それに対する反発も起こり、警察力が強化されていく。そうなれば社会が民主主義を容易になおざりにしてしまいかねない。ここにこそ重要な、演劇や芸術がある種の抵抗として存在しうるポイントがあるのだと思います。

 

 

 

――ハイナー・ミュラーは、例えば1989年の民主化デモに際してのドイツ座の俳優などとは異なり、彼の人生を通して常に政治と距離を置いてきました。芸術家は常に政治と距離を取るべきか、或いはまた他の可能性があるか、どうお考えになりますか?

 

 

 

(ヘ)私がお答えしてもいいですか。思うに、そこに確かな法則はないのではないでしょうか。問題になるのは、まずは芸術家の自由と立場それ自体だと思います。政治的プロセスを直接芸術作品に関わらせた芸術家もいます。例えばリヴィング・シアターなどです。観客は彼らの作品や上演自体の中で、彼らの省察や政治的理念を認識したのです。様々なエポックで、様々なグループが、そうした直接的に政治的な、介入としての演劇を行いました。一方で、直接的に現実と関わるのではない、異なる芸術的プロセスもまた存在しました。そうした作品がある社会的機能を果たすことも全く正当だと思います。

 

 

 

――そこで重要になるのは、芸術あるいは演劇の自律性ではないでしょうか。私の考えでは、この概念は常に、芸術の独立性と同時に、芸術は社会と関わる必要はないというエクスキューズとしても機能してしまいかねないという二重性をはらんでいるように思います。

 

 

 

(レ)ええ、それはその通りだと思います。まさにその危うさは常に存在します。ですから私もヘレーネに賛同するのですが、理論的な定理は存在しないでしょう。どちらも正当だと思います。その点についてちょうど先日講演を行ったのですが、そこで私は「抵抗(Widerstand)の美学」と「反乱(Aufstand)の美学」を区別しました。そこで、その双方が正当であると言うために、美学(感性学)が重要であるという話をしたのです。政治的アクショニスト達が、政治的アジテーションのために芸術的側面を利用するとしても、それはある特定の条件下でなら、単なる流行ではなく真摯に取り組むならば問題はないでしょう。しかし他方で、演劇はより政治に対して間接的に受け取られなければならないとも言えます。芸術家が突然あらゆる事に対して政治的に直接意見を述べるべきだと要求してはならないのです。その意味で、ペーター・ヴァイスが書いた、(間接的な)抵抗の美学の存在は重要です。抵抗の美学は、演劇をある特定の諸理念に対する抵抗として用いるものです。もう一つの反乱の美学は、芸術家が政治運動に身を投じることです。そして最後に、これがとりわけあなたにとって重要だと思いますが、常に「距離(Abstand)の美学」が存在すると話しました。つまり演劇がどうにかして政治運動の盟友に、しかし頼りない盟友になるのです。政治運動そのものが批評的に捉えられなければならない。そこでは進歩史観的な理念も揺るがされることになるでしょう。私が『アンティゴネ』について、秩序を揺るがすという悲劇の形式について書いたように。つまりあなたの問題提起に対する答えとしては、ヘレーネと同様に、演劇が何かを成さねばならないというテーゼは存在しないということでしょう。どちらも正当、合法でありうるでしょう。

 

 

 

(ヘ)そしてその事は20世紀の歴史そのものが示しています。ピスカートアやマヤコフスキーを例に取れば、他の演劇形式よりも、(政治的な意味で)より直接的に干渉を行った芸術が存在します。偉大な詩人や作家、新たな美学、新たな手段が芸術に生まれました。20世紀の歴史から、私達は答えを得る事ができるはずです。20世紀はまさにこの混在を打ち出したのですから。演劇における新たな形式、新たな美学、新たな理念の混在です。そしてそれは新たな社会とパラレルなのです。共産主義かファシズムか、あるいは民主主義か戦争かといった、政治的な大きな問題。20世紀にはまさに、この問題についての理論的・実践的な広大な側面があるのです。20世紀の歴史をよく見れば、自ずと明らかになるのではないでしょうか。

 

 

 

――よく分かります。けれども、同時に、私達が現在直面する問題というのは、近代(的システム)がもはや機能不全だということです。もちろん部分的にという意味ですが。しかし同時に、近代という概念ないし意識はいまだ非常に強固です。そこで私が疑問に思うのは、確かに「政治的に演劇を行う」ということは、距離を持って、批評的な視点を保つという意味で非常に重要ですが、それがひょっとしたら既存のシステムあるいはヒエラルキーの内部でしか機能しないのではないかということです。そのシステムないしヒエラルキーから外に出てしまうと、それは演劇ではない、芸術ではないと見なされてしまいかねない。それ故に、何かを表現しようとすれば、既存のシステムに近付かざるをえない。

 

 

 

(レ)もちろん、そうした発想は解体するよう努力しなければならないでしょう。これはとても弁証法的ですが、あるシステムに入り、それを利用し、かつそれを批判的に見なければならない。そのシステムによって働くだけではなく、そのシステムを変革するために働くということです。現在多くの人がそれを試みています。システムを利用しながら、決してシステムそのものに主導権を握られない。効果や成功や何かではなく、自身の考えや問い、自身の不確かさや未知を表現の出発点にしなければならないでしょう。

 

 

 

(ヘ)あなたは「考える」という言葉を使いましたが、システムの外部で考えるというのはとても困難です。人は大抵、「システムにおいて考える」のです。レーマンが「利用する」と言ったシステムいうのは、例えばスターシステムや劇場の補助金制度や大劇場で働くといったことなので、少し意味が違いますが。システムの内部や外部で考えるというのは、どういうことでしょうか。システムの外部で考えるというと、例えば俳優で言えば、自身を芸術家と定義することなく演じるとか、観客を意識することなく演じるとか、あるいは自分のためだけに芸術を行うとか、これはまさしく矛盾というものです。一体システムの外部で考える芸術家がどのくらい存在するものでしょうか?私が知るのはせいぜい一人か二人というところです。それでもやはり妥協としてシステムの内部にいることには変わりません。造形芸術の世界では、観客のいない状況でのパフォーマンスを行ったりするような人を何人か知っています。これはあるいはシステムの外部と言えるかもしれませんが。システムの外部で考えるとはどういう事か、とあなたに逆に質問しましょう。定義も、そして集団も、人はシステムの内部で、システムとの関係において作るのです。それ故に、システムの外部で考える芸術家というのを、私個人は知りません。もしあなたがそうした例をご存じなら、是非聞きたいです。

 

 

 

――これは難問ですね(笑)。私達の活動について少しお話しさせて頂ければ、私達にとって劇場とは、人が出会い、表現し、コミュニケーションを取ることのできる空間です。つまり、私達は、演劇とは必ずしも戯曲に基づく舞台上の俳優の行為だとは思っていません。例えば私達は自分達の事務所を定期的にある種のサロンとして開放します。そこでは人は、何もしなくて良い、何もしない事が許されるというコンセプトです。

 

 

 

(レ)ただそこにいる。

 

 

 

――そうです。それは私達にとって演劇の一つの機能であり、一つの可能性です。そこに座って、窓から外を人が行き交うのを見る、同時に自分も見られる。これは言わばとても演劇的な瞬間だと思うのです。

 

 

 

(ヘ)それはよく分かります。

 

 

 

――それから、やはり昨年制作した『卒業←アレルギー』ですが、この上演は高校生および素人と共同で行いました。高校生と、その10歳年上の世代を集め、まるで当日初めて会ったかのような設定で対話をしてもらいました。もちろん事前に何度もリハーサルはしました。そしてこの対話を出発点として、色々な演劇的手段をコラージュして上演したのですが、少なからぬ観客から、なぜこれが演劇なのかと問われました。そこで私達は、近代演劇のシステムがいまだ非常に強固に機能していると感じたのです。

 

 

 

(ヘ)ええ、それはシステムと「パラレル」という事です。20世紀初頭の芸術運動には、新たな要素を演劇に持ち込み、あなたが仰ったような状況を作り出したグループもありました。美術の世界や、多くの国でのダダイズムや、日本を含め世界中にそのような運動がありました。1960年代においてもやはりそうです。ハプニングや経験を演劇の状況として理解するような運動がありました。これらは既存のシステムとパラレルですが、システムの外部で考えるという事ではありません。彼らは体制側の演劇理念に対するパラレルなシステムの「内部」で考えるのです。そして、私が理解する限り、体制に関わる全ての芸術家は、こうした運動とはほとんど関わりないものなのです。

 

 

 

(レ)ブレヒトも、演劇ではなく映像と見なされました。彼の演劇は従来の意味での演劇ではありませんでしたから。しかしブレヒトは、別に構わないと言いました。これはエンゲキ(Theater)ではなくエゲンキ(Thaeter)だと。現在演劇と言う事ができないなら、エゲンキと呼べばいいのだと。これは演劇ではないと言う人は、演劇について何か理解するのではなく、何か特定のシェマの中で考えているだけですから。そんな人達を調子づかせてはいけません。これは演劇ではないなどと言う人には、これも演劇だと言わなければなりません。あなた方は演劇について狭い考えしか持っていないのだと。もちろん、人は演劇において、何事かを人前で見せたり語ったり行為したりする瞬間を作り出そうと試みることはできますし、常に試みていくでしょう。ただしそれらは常に同時に行われる必要はない。例えば、私が好んで説明する1917年のメイエルホリドのある上演では、人々が議論を行い、それから上演が終わった後に一緒にダンスを行った。まさに今日の演劇でも、そのような人が出会い、注意を喚起する状況を作り出すことが重要なのだと思います。今日のメディア芸術においては、そのような状況を作り出し、他人が何を語り、何を行為するのかといった事に注意を向けることが決定的に重要です。ただし、それは旧来のように仮面のように機能したり、後ろ側に見えなくなってしまう何か偉大な芸術としてではないのです。そして私が思うに、現在まさにあなたが行っているような形式やパラレルなシステムにおいて作り続けること、そして演劇の定義を隠蔽してしまわないようにさせ続けていくべきでしょう。

 

 

 

(ヘ)よく似た事例についても、もっと研究してごらんなさい。昨今の多くのグループも、歴史上の事例について研究が充分ではありません。あるダダイストだって、飛行機から飛び降りる所を人々が見る、それが演劇だと主張したりしています。1920年代の話です。現在多くのグループが、自分達が初めて発見したと主張するような事も、実はもう誰かがとっくに見つけていたりするものです。歴史における、芸術概念の理解について重要な事象と結びつかなければなりません。そうすれば、理解しようとしない人々に対してもっとラディカルに働きかける方法も見つかるでしょう。あなたもご存じでしょうが、マルセル・デュシャンは70年前にまさにそうした事を行ったのです。当時誰にも理解できなかったラディカルを学ぶべきです。

 

 

 

――日本の複雑な状況と言うのは、言わば近代が成熟する前にポストモダンが移入されてしまった事です。何かを決定するための明確な基準や法則といったものが定まる前に解体されてしまった。歴史的アヴァンギャルドや1960~1970年代のパフォーマンスは、非常に強固な反対概念、批判対象を持っていました。しかし今日ではこのような境界や関係性は明確ではありません。それ故に挑発や反発としての試みが、当時と同じように機能しないのではないでしょうか。

 

 

 

(レ)それは私もそう思います。挑発の戦略は、もはや古びてしまっているでしょう。それそのものがシステムの一部と化してしまったのですから。ちょうどスペクタクルのように。もはやテクストから離れてスペクタクルを作り出すことはできない、そうした事はメディアカルチャーがとっくに成し遂げてしまったのですから。そこで演劇独自の課題というのは、知覚や集中といったプロセスに注意を喚起させることでしょう。これこそ演劇の批評性の持つポテンシャルです。劇場であろうと住宅であろうと、観客がただ観察者として、さっさとカタログを見るように振る舞うことは許されないのです。個々の部分に注目することが要求されるのですが、それがテクストである場合もあるでしょう。現にまだ多くの強固なテクスト演劇が存在しますが、そこでテクストに書かれた情報を受け取るだけではなく、語られる言葉そのものに注意を向けること。あるいはダンスで言えばその時々の身体性といった、小さな部分に対する異なる見方を可能にする状況を作り出す事が必要でしょう。しかも単なる形式ではなく、生きている人間がそれを行うのです。ですから私は演劇の小さな形式、小劇場がそのために非常に重要だと思います。注意喚起の小劇場、知覚の小劇場、集中の小劇場。どのように行うことができるかという規則はありません。集団で芸術的推進力を生み出していかなければならないのです。

 

part2へ続く)

 

(2013年5月10日)

聞き手・翻訳:寺尾恵仁