SheShePop演出家ミイケ・マツケさん(2013年5月6日)

 

――初めに『TESTAMENT』について伺いたいと思います。この上演の特性は、3人の父親と4人の子供達が互いに自己演出/演技を行い、しかしプロの俳優でないこともあって常にその挫折を経験せざるを得ない。この構造によって、観客は非常に特殊なオーセンティシティを感じる。この役の造形のプロセス全体、固定された役に決して至ることのないプロセスそのものが非常に特徴的だと思います。言わば非常に流動的かつ遊戯的な構造を持つこの作品を制作するにあたり、どのような出発点あるいはモチベーションをお持ちだったのでしょうか?このような試みが、ドイツの劇場シーンで行われたというのが私には大変驚きでした。

 

 

 

私達は常に、私達自身が設定する課題についてのアイデアから出発します。これまで多くのドラマトゥルクから、なぜ既成の戯曲を使わず、自分達でテクストを構成するのかと尋ねられてきました。私達は長いこと既成の戯曲を使わずにきましたが、ようやくそれについて考え始め、私達が『リア王』の物語ととても似た状況にいるという、この戯曲を上演するにふさわしい理由に気付いたのです。私達の父親はみな60歳を越えて退職していて、それでもますます権力と影響力を誇示しようとしている。私達にとってこれは興味深い状況であり、それに対して課題を設定することから始めたのです。つまり父親達を舞台に招待して、一緒にシェイクスピアのテクストを読んだのです。最初に私達が興味を持ったのは第一幕、どの娘が父親を最も愛しているかと問う場面でした。それから、第二幕のいくつかの場面について父親と朗読し、議論すると決めました。そのようにして個々の課題を発展させていきました。例えば娘の愛と父親の財産について語る場面や、100人の騎士を大量の本に見立てる場面などはそうして生まれました。

 

 

 

 ――上演中何度か、父親達がこの上演を非常に強く批判する場面があります。実際の父親と一緒に演劇制作を行うのは非常に難しいことだと思いますが、全体のプロセスで実際に一番大変だった事は何でしょうか?

 

 

 

そもそも私達の演劇を完全に受け入れている訳ではない父親達を舞台に上げるのが最も難しかったことの一つです。私達の演劇では、多くのパフォーマンスアートのように、いつも戯曲を使うわけではなく、身体性によって構成されるのですが、当初父親達はしばしば、なぜ私達のやる事が演劇なのか理解できないと言っていました。時には彼らの手厳しい批判がとてもストレスでした。私達は、オーケー、このテクストとよく似た状況、父親が娘をひどく苦しめ、罵倒する状況がとても興味深いと言って、彼らに言いたい事を自由に書き出してもらうよう課題を出したのです。そのため上演でもそれが話題に上りました。

 

 

 

――私は二年前にこの上演を見たのですが、その後この上演は変化していますか?それともずっと同じですか?

 

 

 

これは是非とも言っておかなければならないことですが、この上演には全部で4つのバージョンがあります。4組の父子のペアがあり、舞台に登場するのは常に3組だけです。あなたが見た回では、テオ・パパテオドロウが出演していなかったのではないですか。

 

 

 

――その通りです。

 

 

  

彼と娘のイリアはギリシャ出身で、とても異なる問題意識を持っています。でもどのバージョンでも、どの部分が戯曲から抽出され、どのようにドキュメンテーションされるかといった、大筋は共通しています。部分的にテクストが差し替えられるだけです。それから、部分的に全く稽古せずに、即興で上演される場面があります。

 

 

 

――どの場面でしょうか?

 

 

 

即興と言ってももちろん字幕はいつも同じなんですけどね。例えば家の間取りやどんな蔵書があるか説明する場面、それから許しの場面です。毎回少しずつ違います。

 

 

  

――日本での上演の際に、父親の蔵書の場面で、字幕の数字を見てからその通りに言ったと聞きました。これはとても興味深いエピソードです。即興の場面もそうですし、彼らはテクスト全体を暗記することはないのですね。

 

 

 

そうです。私達はもちろんいつもテクストを構成しますが、それぞれ出演者が言いやすく変換します。既成の古典戯曲などはとても力強い形式を持っていますが、私達が重要視しているのは、どのようにオーセンティックな印象を与えるかという事です。観客への実際の語りかけと言ってもいいです。毎回異なる観客へ語りかけることで、語りの内容もより明快になっていきます。蔵書の場面では、観客に語りに集中してもらうために、字幕は最小限にしているんです。

 

 

 

――しかし、大変興味深いのは、あなた方が同時に古典的とも言える演劇の構造を用いている点です。つまり舞台と客席を明確に分離している。これは意図的だと思うのですが、他のパフォーマンスアートやエキスパートシアターとあなた方がどのように異なるのか説明して頂けますか?

 

 

 

私達はずっと、観客との相互作用という点に注目して作品を作ってきました。SheShePopは元々、舞台と客席の境界を取り払う事で有名だったのです。

 

 

 

――『どうして踊らないの?』ですか。

 

 

 

それもその一つです。観客にある役を演じさせたり。最初は『TESTAMENT』でもそのようなプランがありました。観客を交えた非常に長い交渉、一種の裁判劇のような形式や、あるいは観客に自身の問題について語らせ、私達と父親達で即興的に答えていくとか。でもそれではあまりにやる事が多過ぎて、父親達と一緒に作る事はできないだろうと気付いたのです。とは言え私達は常に、観客に対する証言者として存在するようにしました。父親に対して直接的に語るのではなく、常に観客に対して父親についての証言として語るのです。『リア王』の内容や彼ら自身の事について、彼ら自身の言葉で語ることによって、観客はオーセンティックだと感じ、自分自身との対話が行われていると感じるのです。観客は、実際に回答を求められる訳ではありませんが、でも繰り返し語りかけられるのです。実際のところ、俳優としての経験がない父親達と一緒に人前に出て、同時に観客との相互作用を実現するのは単に無理でした。ある段階で、私達が舞台に立ち、観客は黙って座っている形式が良いと意識的に決定したのです。

 

 

 

――少し私自身の演劇活動についてお話しする事をお許し下さい。私達も非常によく、出会いや議論の場を演劇空間として表現するなど、制作プロセスそのものをパフォーマンスとして利用します。でも非常に多くの「プロじゃない」「演劇じゃない」「作品じゃない」といった批判を受けます。

 

 

 

よく分かります(笑)。

 

 

 

――そうなんです(笑)。現実は終わりないものだし、実際の生活に決まった答えなど存在しない。それ故に私には、あなた方の試みがとても共感できます。しかし、実際のところ、ドイツの演劇シーンまたは公共劇場システムにおいて、このような言わばオルタナティヴな表現を行うことに、どのような意義があるとお考えですか?

 

 

 

ここ数年で、ドイツの演劇に関する言説は大きく変化したと思います。リミニ・プロトコルや私達やゴブ・スクアッドなど、国際的に非常に成功しているグループなどについて語られるようになりました。

 

 

 

――(ドイツのフリーシーンについての論考を)2006年に書いていますね。そこからさらに変化はあるのですか?

 

 

 

そうですね。非常に多くの、古典的な俳優システムに依存せず、新たな公共性を表現する試みが行われています。例えばリミニ・プロトコルは、「日常のエキスパート」を舞台に上げることでとても成功していますが、公共劇場でも、例えばドレスデンでは市民劇団を作っています。リミニ・プロトコルとよく似ていますが、俳優ではなく、専門性を持った一般市民が、演出によって舞台上に登場するのです。またギーセンやヒルデスハイムの教育機関が、多くの若いグループを輩出することに成功しています。彼らは造形芸術やコンセプチュアルアートに大きな影響を受け、俳優に役を演じさせるのではなく、空間造形やインスタレーションや特殊な状況設定を作品制作の出発点としています。私達もとても長い間困難な状況にありましたが、それでも2年前にテアタートレッフェンに選ばれました。去年はゴブ・スクアッド、今年はジェローム・ベルの精神障碍者との共同制作が選ばれています。明らかに、公共劇場においてもそのような試みが普通のことになってきています。これは私の意見ですが、公共劇場において、何を表現し、解釈するかという事についての変革が起こっているのではないでしょうか。大きな舞台での古典的な作品だけではなく、造形美術やインスタレーションを招聘したり、今まさにドイツの劇場システムで何かが変わっていると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

――つまりドイツの演劇の未来に対しては希望をお持ちなんですね。

 

 

 

はい。例えばこれは文化政策についてですが、ある大きな文化財団による新しい助成金システムができたところです。公共劇場とフリーのグループの共同制作に対する助成金です。そして実験的な上演である事が求められます。公共劇場も実験的な制作に対してより多くの予算をつけることができるのです。この助成金は二年間にわたって出されます。新しい形式での演劇制作に対する支援の要求からこのようなシステムが生まれたのも、一つの変化の現れだと思います。

 

 

 

――日本には、ドイツ語圏のような公共劇場はほとんどありません。だからこそ私達は表現活動を行っている訳ですが、常に疑問を感じるのは、フリーシーンやオルタナティヴな活動が、かえって既存の状況やシステムを肯定したり、補強したりしてしまうのではないかという事です。既存の演劇システムには問題が多いと思うのですが、どれほど努力しようとも、結局はそのシステムの存続を助けてしまうのではないでしょうか。

 

 

 

日本の具体的な状況は分かりませんが、つまり自分達が問題だと思うことを補強してしまったり、カウンターとしての演劇活動が成立しなかったりという事ですか?

 

 

 

――そうです。そして演劇に限らず、芸術や文化全体について同じ事が言えると思います。例えば、私達は時に挑発的と言っていいアクションや演出を行いますが、「これは演劇です」と既存のジャンルに即して言わなければ、私達の活動を誰も演劇だと認識しないかもしれない。すると、現状の演劇に対する批判性が機能しないのではないかと思うのです。つまり、境界領域やジャンル外の試みが、そのジャンルの批評として認識されないのではないかという事です。

 

 

 

それは、恐らく私達自身もよく似た状況にあると思います。これは正式な演劇ではないとか、これは何か別の事だとか、簡単に片づけられてしまいがちです。私達のやる事も、がらくた市だとか、面白過ぎて良くないとか言われた事があります。例えば『どうして踊らないの?』では、演劇に対する批評や挑発を込めて、観客と一緒にダンスをする部分があるのですが、しばしばそれは単にダンスの企画だとか、ただのパーティだと見なされてしまいました。私にとってはもちろんただのダンスパーティではなく、特定の視野から視点をずらし、既存の位置づけを破る一つの試みだったのですが、一度、上演後に観客がそのままダンスを続けることを望み、本当にダンスパーティになってしまった事もあります。これが本当の演劇ではないと言うのは容易なことです。出演者がプロの俳優ではないと言われることもしばしばです。つまり彼らにとっては演劇で重要なのはプロの俳優だけだという訳です。私は、もう20年来そうした事と格闘してきましたが、ある特定の形式を持ち続ける事が重要ではないかと思います。ある程度長いスパンで観客が見る事で、芸術家の考えを知ることができる。「これは何をしているのか?」という観客自身の問いについて、見方や考えを整理することができるからです。あなたの問いに対する答えになっているかどうか分かりませんが…。

 

 

 

――あなたはすでに学者としても多くの仕事をなさっています。アカデミックな仕事と現場での仕事を両立させるには、少なからぬ抵抗や困難があると思うのですが、それについてはいかがですか?

 

 

 

私はとても幸運でした。これまでどちらの分野でも、非常に好条件で仕事をすることができたからです。日本ではどうか分かりませんが、例えばアメリカでも、演劇学者が現場で活動を行うことはそう珍しいことではありません。イギリスでもそうです。こうした国々には研究者のための経済的な支援システムなどがあります。私が幸運だったのは、常に自分の実践的な問題意識に即した仕事を求められてきたことです。(私の勤務している)ヒルデスハイム大学には以前ブラントシュテッター先生がいましたが、彼女はダンス研究者で、理論と実践を結び付けようと試みています。研究者としての私は、いつも現場で生まれた問いの答えを探すために仕事をしています。博士論文は、自己表現・自己演出について書きましたが、それは何か演技したり、舞台に立ったりするのはどういう事かという、私自身の経験に即したものでした。ブレヒトやスタニスラフスキーを読んでも、いつも役の表現についての似たような問題について書かれているのだと、後になって気付きました。また教授資格論文は、稽古について書きました。芸術作品の稽古における関係性について歴史的に考察したのですが、その際にも私自身の芸術活動が多くの素材を提供してくれました。私の理想は、実践現場での問題を研究現場で省察し、研究によって実践のための新たな考えを手に入れることです。

 

 

 

――あなたはギーセン大学の応用演劇学科で学ばれましたね。しかし現在、しばしばベルリンの演劇学者と共同で仕事をなさっています。ギーセンとベルリンは、ドイツ演劇学においてそれぞれ異なる傾向を有していると思うのですが、あなたご自身はどのようにこの二つの潮流を結び付けていらっしゃいますか?

 

 

 

それは面白いお話です。あなた自身はギーセンの傾向とはどのようなものだと思いますか?

 

 

 

――私の指導教授は、何度かハンス=ティース・レーマンと一緒に仕事をしています。また(エリカ・フィッシャー=リヒテの)『パフォーマンスの美学』の翻訳も行っています。彼が言うには、もちろん絶対的なものではなくあくまで傾向ですが、ベルリンの演劇学者は一般的に観客ないし受容者の知覚/認識を問題にするのに対して、レーマンやライプツィヒのギュンター・ヘーグなどは、どちらかと言えば作品・芸術家側に注目すると。

 

 

 

私にとってレーマンと言えばフランクフルトという感覚があったのでお聞きしたのですが、それはとても興味深い見解ですね。私にはその双方はとても距離があるように思えます。若い世代で、フィッシャー=リヒテの影響のもと、上演における観客の知覚/認識に注目する傾向はとても強いと思います。しかしフィッシャー=リヒテの亜流にとどまらず、さらに発展しています。例えばヒルデスハイムの同僚のイェンス・ローゼルトは、フィッシャー=リヒテには制作者側の観点が欠けていると自分で言っています。ベルリンでブラントシュテッターと一緒に仕事をした際に、文学やダンス学が知覚/認識によってどのように論じられるかという事を目の当たりにしたのはとても興味深かったです。ヒルデスハイムで私達がちょうど取り組んでいるのは、実践と理論を新しい視を構築することによって結び付けるという考えです。重要なのは、どのように演劇が成立していくかという問いで、稽古プロセスに注目したり、劇場のテクニカルな側面や劇場制度を研究したりしています。フィッシャー=リヒテが発展させた上演分析の手法も大きな成果ですが、それにポストモダニズムの演劇のパラメーターをどう結び付けるかという事を考えています。ですから、ベルリンかギーセンかという風に考えたことはありません(笑)。どちらも必要です。ちなみに私は学生時代にはまた別の方向を目指していました。精神分析学的に、声や上演構造を分析する、これはギーセンのゲラルト・ジークムントが発展させています。でもその後、私の興味は、作品そのものよりも、どう演劇が作られていくか、その過程へと移っていったのです。ドイツ語の演劇学では、稽古のプロセスについての研究は当時一切ありませんでした。

 

 

 

――もう一つだけよろしいでしょうか。昨年「Reenactment」についての書籍にあなたも論文を寄稿なさっています。この概念は非常に興味深い、というのも私達のグループでも、時間的・歴史的な痕跡を辿るという行為にとても興味を抱いているからです。ちょうど先月、私達自身の拠点で小さなパフォーマンスを行いました。東京の古い家ですから、前の住人の痕跡などが残っている訳ですが、そこに二人の幽霊が住み着いており、様々なことを語るという作品です。人間はどこから来てどこへ行くのかといった、時間的・精神的なプロセスそのものが主題と言えます。こうしたプロセスに光を当てるのは、演劇独自の機能であり特性だと思うのですが、私が理解する限り「Reenactment」という概念は、今後の演劇学にとって非常に意義深い概念だと思います。もちろんこの概念自体は比較的古いものですし、フィッシャー=リヒテも中世あるいは20世紀初頭の様々な試みについて書いています。あなたご自身は、この概念がドイツ演劇学でどう考えられ、今後どう展開していくとお考えでしょうか?

 

 

 

元々この概念はメディア論の方から来たものです。「Reenactment」とは、文書の残っていない何かの歴史的な事象が再現されるような場合についての言葉です。この概念は、ダンス学でとりわけ重要なものになりました。というのも、多くの場合振付を記述するのは難しいので、写真や短い記録映像で記録し、例えばニジンスキーの振付などはそうやって再現しようと試みられてきたわけです。ダンスにおける「Reenactment」とは、過去の作品を全く同じ振付で再上演する場合を意味します。またパフォーマンスアートの場合でも、一度きりで終わってしまい、せいぜい写真やメモくらいしか残らないことが多いので、特に学問的に論じようと思うと、どうにか再上演する必要が生じてくる。その際にこの概念が用いられるのです。私達演劇学者にとって興味深いのは、何かを再上演しようとする実践によって、歴史的な事象を理解し、体系化することができるからです。ヨーロッパの多くのアーティストは、このような形式で作品を作ってきました。例えばその本にも書きましたが、フランスの振付家ボリス・シャーマッツは、ダンスのドキュメンテーションは可能かという問いに基づき、マース・カニングハムのダンスの写真を詳細に解析して再現するプロジェクトを行いました。出来上がった作品は、まさしくダンス作品であり、誰かの振付が、いつ別の人のものになるのかという問題を興味深く表現した例だと思います。このように、ダンスではすでに「Reenactment」について多くの理論的な問いが立てられてきました。またパフォーマンスアートでは、マリーナ・アブラモヴィッチのニューヨークでの一大プロジェクト『Seven Easy Pieces』、これもその本に書かれていますが、他のアーティストの作品が、別の文脈で彼女自身によって再上演される。あるパフォーマンスが、どのようにその後生き続けていくのかという、言わばパフォーマンスのアーカイブについての問いかけ、パフォーマンスはどのように生き続けていくことができるのかという問いかけです。パフォーマンスにドラマ的なテクストがないとしても、シナリオ、英語で言うスコアのような、展開や行為が詳細に書かれたものがあれば、そこからまた新たに別の人が発展させていくことは可能です。これこそ私達がこのような著作を作ったポイントなのですが、全く別の実践のあり方について記録するためです。例えばアメリカでの巨大な戦場の再上演についてなど。このような形式が日本にもあるかどうかは分かりませんが、ドイツでは部分的に行われています。つまり、歴史的な出来事を実際に演劇やダンスの手法を用いて再現するのです。私達は、まさにここに、アクチュアルな現在性を、歴史や記憶についての問い、つまり物事はどのように記憶されうるかという問いによって記述することに興味を覚えたのです。

 

 

 

――私達のグループのリーダーである妻は、演劇の記録についてこう語っています。演劇ないしパフォーマンスは記録不可能なものだが、もしそれが可能だとすれば、上演ないし身体的な反復自体がそれだと。日本の伝統的な舞踊や歌舞伎の世界では、振付譜というものが無いのが普通です。故に、振付を伝えようとすれば、口伝ないし身ぶりによって伝えることになります。これこそ身ぶりの記録だと彼女は言います。故に私達にとっても「Reenactment」という概念がとても興味深く、重要なものだと是非お伝えしたかったのです。本日はどうもありがとうございました。

 

(2013年5月6日)

聞き手・翻訳:寺尾恵仁