第四回(2013年7月21日)

S と、いうわけで、山口の『Stifters Dinge』について。

T 片道6時間!基本的には、すごく好意的な感想を聞いてます。これは、僕の、話を聞いた上での解釈ですけど、多分、テキストと、テキストの内容と、ドラマ的な要素と、感覚的、つまり、意味内容・論理的なところと、感覚的な、視覚とか、聴覚とか、触覚とか、雰囲気とか、そういったものが、うまく、こう、混ざり合って、えー、なんか、非常に、普通に面白い、体験を作り出していたんじゃないかと

一同 うん。

T ま、いたんだろうと。装置とか、こうこうこうで、ピアノとか、水とか、霧とか、こう、バーっと。

一同 (笑)

T 擬音が多いですが。

I ま、そういうもんですよ。

S そういうもんなんだ!

I うん、合ってる、合ってる。

H どうでした?

I すっごく良くて!人が出てこない演劇作品だとうたわれていて、ま、でもね、黒衣的な人は最初に出てきて

S あ、そうなんですか?

T 最初に人出る。

I でもね、黒衣的な人なんですよ、本当に。だからね、わかんない。

H しゃべらない?

I しゃべらない。台詞ない。あのね、どういう役割かというと、装置に対して

H スイッチ入れるとか?

I スイッチっていうかね、まずね、舞台上にプールみたいなのがあるのね。で、最初そこにシートかぶせられてるんだけど、そのシートの上に白い粉をババババーッと

H 撒く人?

I そう撒く人、がいて、あらかじめそこは撒かないんだねって。

一同 (笑)

I 撒いとかない、ここ見せる必要があるんだねって、で、粉を撒いた後、水を入れると。まあ、その作業やる人がいるっていう感じ。そのほかはもう人が出てこない。

H その人が出てくるのは開演してからなんですか?

I 開演してから。

一同 ああ。

H じゃあ、意図的に、

S 後からやってるんだね。

I うん。そこはオートマティックにはしてない。

S それ(白い粉)が霧とか雨になる?

I えっと、霧とか雨になるっていうのがね、雨がね、僕が見た感じだと、あれ雨は「降って」はいないんじゃないかと思うんだ。こう、水滴が落ちてるようには見えるんだけど、おそらく装置を使って、水滴が落ちてるように見せる。

S ほお。

I 下のデバイスが、けっこうキモで、なんか化学反応起こして、白い、こう、煙みたいなのが

H 粉が?

I そう粉が。っていう仕組みがあったりとか。けっこうそのプールがキモなんですよ。

H 音はどうだったんですか?

I 音がね、また、これが非常に良かったんですよ。もう、YCAMじゃないと、あれ無理ですね。

S ああ。

I 実際、ハイナー・ゲッベルスもトークで言ってたんだけど、坂本龍一さんとのトークで。えーと、今までの公演の中で一番音が良いって。

S あ、そんなにすごいんだ、YCAM!

H おお。

S 行きたい!行きたいよ!

H 行ってみたい!

I ま、やっぱ音良いですよ。非常に音良い。どこから音が鳴ってるっていうのがね、よく分かる。距離関係。スピーカもでかいのがドンとあるんだけど、その奥にちょっとずつちっちゃいスピーカが並んでいて、その装置が前にいったり、後ろにいったりすることによって、鳴る位置がちょっとずつ変わるっていう、そういうふうになってる。

H 外なんですか?

T いや、あのう

I 室内。

H 中?

T 普通の劇場空間。

H 中で、プールがあって?

I あのね、装置の方が、奥行きで言えば客席よりある感じなんですよ。

一同 ああ(笑)

I ええと、ものすごい、奥の方に、ピアノを使ったデバイスが並んで、というか、積まれていて、その手前に、細長くプールがある。三つある感じ。そこにさっきの(プールに)水を入れるための貯水タンクが三つ。で、終わった後ね、ものを見せてくれるんですよ。

一同 おおお!

I 見ていいよって、写真撮っていいよって。あ。だからね、写真があるんですよ。(写真探す)

H 私、ホームページ見て、勝手に外だと思ってた。

S 私も!で、「雨って何よ、雨って」と思ってた。「雨はコントロールできません!」って。中でやるんだ、すごいね。

H うん。

I で、最初がね、こうなってるんですよ。(写真見せる)これがね、全部ピアノ。

S パネル裏かと思っちゃった。

H うん。

I ここにある白いのが、カホンのようなもので、でもカホンじゃなくて、

T ?

I あー、カホンって、ドラム缶みたいな形の打楽器。で、カホンかと思ったんだけど、カホンじゃなくて、どうも、ここに、ドラムセットみたいなペダルがあって。で、ペダルは自動で動く。で、動くと、それが、いわゆる、大太鼓みたいな、音が出る。あと、この辺のものは、ピアノは全部見える仕組みになっていて、しかもコンピュータが制御していて、自動演奏されると。

一同 おおお。

H ちゃんと鳴るんですね。

I 鳴る。しかもね、その鳴り方が普通の演奏の仕方ではない。ジョン・ケージ的なことをやるんですよね。ガーンって。弦直接たたいたよ今!って。

S 弦直接たたいたよ!

I そう!だから、その、単純に、自動ピアノみたいなのあるじゃないですか。

H・S うん。

I そういうのとは違って、制御するデバイスが、もう、いろんなところにある。ちょっと、これ、見えないんだけどね。(写真見せる)ここら辺にね、すっごい数の、イーサネットケーブルが刺さってるんですよ。で、コンピュータのデータ送って、で、諸々の制御を行うみたいな。

一同 へええ。

I その、ステージに乗っている、その、えーと、楽器の制御だけじゃなくて、これ、動くのね、まず。

S ???へ?

I (写真見せる)こういうレイアー状になっていて、実は。で、これも三層になっていて。三層が重なって。えーっとムービーが(動画見せる)。

T 映像もオッケーなんですね。

I そうそうそう。

一同 ええええええ。

T これはそのときの、終わった後の。

H この音は

I 鳴らしてくれてる。

S すげえ!

I ま、こんな感じだったの。

(動画終わる)

I ピアノの制御から、デバイスの制御まで、全部コンピュータでやってる。

S これって、ゲッベルス一人で全部やっている?

I えっとね、多分、ゲッベルスがディレクションして、プログラマは他にいると思うんだね。一人でこれだけのものは作れないと思うから。ピアノのデバイスを作る人がいて、で、コンピュータのプログラミングする人がいて、みたいな。

S ふーん。

I 照明機器まで含めて、全部がコンピュータで制御されていた。映像も。

T これは、どっかで、コンピュータのスイッチをポンと押している誰かはいる?

I いる。ま、それがゲッベルスなんじゃないかな。

一同 (笑)

I おーし、俺、押した!みたいな。

T 俺の演技終わり。

I 俺の作品!

S まあ、そういうもんですね。

I だから、多分、どの程度、ライブ要素っていうかな、どのくらいその場で操作してるのかは分からないけど、基本的には全部プログラミングされたものが動いてるんではないかな、と。

S じゃあ、最初に粉入れる人の作業以外は、多分、自動だろうと。

I うん。そうそう。ボタン、プッて、押したら、後は、終演まで、流れてく。

T 今、ちょっと映像見ただけでも音がとても良かった。

I うん。

T これは、空間の、反響とかが素晴らしいと?

I うーん、そこは、10年前にオープンするにあたって、ま、ダムタイプの人たちが入って、音響に関するディレクションをやってると。設計の段階から入ってると。

S 良かったら霧の説明も。

I あ、霧はね、(写真を探す)霧はこんな感じ。

H・S おお!

I プシューッと出るんですよ。で、これも、スモークマシンがあって。で、スモークマシンをコンピュータで制御してるんですよ。

一同 おお。

I ゲッベルスが言うには、舞台に乗ってるものの、ヒエラルキーをなくしたいと。

一同 おお。

T 人間が、どうしてもヒエラルキーの上に来てしまうから。

I そうそうそう。だから、伝統的な手法の、例えば、演劇だったり、ダンスだったりっていうと、まあ、演出家はとりあえずその頂点にいて、まあ、役者がいて、っていう構造があると。で、それに対してゲッベルスは、音に関しても、映像に関しても、全てが等価値として扱ってる。

S うん。

I ま、その話、あ、彼は、えっと、フランクフルト大学を卒業してるんですね。だから、フランクフルト学派なんですよ。だからね、ハーバーマスの弟子かもしれない(笑)

一同 (笑)

S なるほどな!(笑)

I そう、だから、フランクフルト大って聞いて、僕はピンときたのがベンヤミンで、ベンヤミンが、言語について語っている短い論文があるんだけど、その中で、えーっと、人が話す以外の言語も、

H・S ああ。

I 鳥の言語や、ものの言語があるのだみたいなことを言い出して、何を言ってるんだこの人はって。

一同 (笑)

I 人はそれが分からないのだ、みたいな。ものどうしは会話しているが、それを我々は理解できる言語を持っていない。

T さすが。

I 多分、ゲッベルスは、鳥と、この(机をたたく)は話はできないけど、それを対話させたいのではないかと

一同 おおお。

I 思ったんですね。異なる言語間のものをつなぎ合わせたらどうなるのか。可能なのかという、ことを多分試みたかったのではないかと。だから、そこをやっぱり乗り越える作業してるっていふうに、見えた。ゲッベルスのやってることは。

S 確かに。言葉や言語芸術って、人間の特権的なものだって、つい思っちゃうんですけど。だが待てよ、と。猫もカラスも、一応言語体系あるぞ、と思ったときに、必ずしも人間の特権的な能力が言語ってわけでもないなって。なかなか興味深いですね。

S 意外とセリフが出てくるんですよね。

I セリフと言うかね、テキストリーディングがいくつかあって。えっとね、マルコムXの演説とかね。バロウズの『ノヴァ急報』を読み上げるとか。

H 誰が?

I 読み上げてるのが誰かは分からない。声がする。それは音が仕込んであって、いくつか。えーとね、レヴィ=ストロースと、誰だっけな、誰かのね対談があって、それを流したり。だから、テキストに関しても結構断片的で、なんとなくそこが、ゲッベルスがそれぞれのテキストに、その、共通するものを見出して配置していく、みたいな感じ。

S そうか、でも、多分、そのテキストと、霧マシーンとかを、対話というか、情報交換はできないけれども、一応並列させて置いてみてるという事なんですね。

T ゲッベルスって、音楽家としてしか知らなくて。

S・H そうそう。

S あれ、イプセン賞、を、なぜ受賞したのかが知りたいですかね。

I 僕ね、だから、この会でハイナー・ゲッベルスがあんなに話題になるの意外な感じがしていたんですよ。

S あ、そうなんですか?

I というのは、僕、ハイナー・ゲッベルスっていうのは、元々は、カシーバーっていうアバンギャルドなロックバンドがあって、その文脈からの認識、ロックバンドの人っていう認識なので

S 現代音楽の人って聞いてますけど?

I えーっとね

S え?それも違う!?

I いや、そうなってるんだけど、僕が、とりあえず彼のことを知ったのはカシーバーっていうロックバンドの人としてで、あ、現代音楽もやる人なのねって。で、そしたら、最近こんなこともやってるんだ!みたいな感じで、当日パンフで知った。あんまり、だから実は、演劇作品というよりは、まあ、演奏してる人が出てこないコンサートというか、そういう形態はけっこうあるので、そういうものなのかなって。

S なるほどね。

I そうしたら、インスタレーション、パフォーマンスみたいなこともやってる人だって、あ、そうなんだ、って。で、当日パンフ読んだら、ハイナー・ミュラーのテキスト使った作品があったりとか。

S あ、そうなんだ。

I なるほど、こういうことかと。

S あー、相性良さそう。ハイナー・ミュラーのテキストは相性良さそうだ。

T なんかね、シアターオリンピックスか何かの、その、オープニングで、ギリシャの広大な古代競技場跡で、ドイツ座の名優がハイナー・ミュラーの『プロメテウス』のテキストを読むと。それがマイクで聞こえてくる。で、その、はるか彼方まで読みながら歩いて行って、それでまた戻って来る。その間に、ゲッベルスの、ま、抽象的な、音楽と言うか、音の連なりが流れてくる。それだけと言えばそれだけなんだけど、その、ギリシャの広大な空間と、ミュラーのテキストが混然一体となって、非常に印象的な上演だったと、ドイツ演劇の谷川道子さんが書いてます。

S あれ、ゲッベルスだったんだ。

T ちなみにその時の役者は、エルネスト・シュテッツナーという、ま、名優ですが。そう、だからそういう人だと思ってたの。

S そういう人(笑)。

I 多分あそこに集まっていた人も、様々な文脈から引き寄せられてきた人なのではないかと思われるわけですよ。

一同 (笑)

I 非常に、それが象徴的だったのが、ま、さもありなんと言えばそうなんですが、僕の行った日に客席にいたのが、ダムタイプの高谷史郎さんがいて。で、ICCの畑中さんがいて。これ写真写ってるよって(笑)。あと、翌日は浅田彰さんが来てた。

T すごいですね、各方面から。

S そうだよね、字幕國分さんが付けて。各・方・面って感じ。

T 何でしょうね、そういうある種の領域横断的なパフォーマンスの方が、色んな人のアンテナに引っかかりやすいのかな。

I うん、それはあるんじゃないかなと思いました。

S 演劇って、どこまでが演劇か問題が、その

H (笑)

S こう、炎上しがちで、しかもまた日本の場合、ここがダメなら伝統芸能のあれは?これは?ってなってしまって。

I うん。

S それで、どうもね、ま、ボカロオペラとかもそうですけど、「人間不在の演劇」っていうと、どうしてわざわざそう名乗ったのかなって、勝ち目をどこに置いてるのかとか、知りたくなる。もちろん私自身もそういうの好きだし、ま、そういうのが出ると話題になるし。実際この間出たシアターアーツも、テクノロジーと舞台芸術で特集を組んでた。ゲッベルスは間に合わなかったけど。今熱いテーマなのかな?

I 演劇とテクノロジーということを言うと、僕、割とずーっとそういうことやってる人追いかけてきた、というか、だから、ロベール・ルパージュとか。

S ああ。

I ロベール・ルパージュとか、もう、すごいとこいっちゃったなあって。えーっと、メトロポリタンオペラで演出を手掛けてるんだけど、彼はシルクドゥソレイユの演出とかもやっていて、で、それを活かした、方法を、取り入れていて、あの、オペラの歌手をワイヤーで吊るっていう。すごいことをやっている。

一同 すごい!

I ルパージュの、その、ベガスでやっている、シルクドゥソレイユのKAっていうのがあんだけど、KAっていうのが、舞台が、こう、あって、だんだんそれがせり上がってくる。で、垂直になるのを、みんなこう、歩くっていう。

一同 へええ!

I それを、オペラでやる。だから、こう、壁に対して、垂直に、で、これで、歌わせる。

S・H すっごーい!

S 去年『レヒニッツ』で日本に来たヨッシ・ヴィーラーが、オペラの演出をしたときに、オペラ歌手を、そのー、ちょっとしんどい状況で歌わせたときに、歌手側は喜んだんだけど、あのー、オペラってすごいうるさい世界だから、もう、音程を間違えたら次から仕事がなくなるって世界だから、それなのにそんなしんどい歌わせ方をしたと話題になってたらしいんですね。

一同 おお。

S もちろん、ヨーロッパとアメリカだと、また違うんだろうけど。だから垂直で歌わせるって、すごい。面白いなって。モメなかったのかって・・・。

I 実際、ドキュメンタリーとか見ると歌い手さんたちは怖がってるのね。「もう、高所恐怖症なんで、無理、無理!」みたいな。

一同 (笑)

S やっぱり!

H こんなことになるなんて思ってなかったよ、みたいな。

I まあ、一部の人は。

S でも、是非やってみたいですよね!

Su 歌えないよね、普通に考えて。

S あ、でもさ、去年の文化庁メディア芸術祭で

Su ああ!

S 機械の上に歌手がいて、動くと歌うっていうか、声を出すみたいなの(追:スイスのCod.Actの『Pendulum Choir』でした)があったよね。

I うん。

Su あった、あった。

I 人形劇って言ったときに、ものに仮託して語らせるってことかなって考えたんですよ。で、別にこれ、例えばアニメーションとかもそうで、人が演じるものを、セル画、まあ今セル画じゃないけど。

S そうですね、いまどきセル画ではない。少しずれるかもしれないですけど、例えばボーカロイドに「ネギ持たせてあげよう」とかなるように、(人ではない)ものを人として扱うって、日本では少し強い感覚なのかもって思ったことがあるんですよ。

I うん。

S だから、ボーカロイド文化って、(人ではない)ものを人として扱う、むしろ究極のヒューマニズム文化なんじゃないかって。で、その辺、浄瑠璃とか歌舞伎ってすごく関連があるじゃないですか。

H 元々人形がやっていたのを人がやるっていうのが、演目としても、とても多いし。

S そうなの。だからテクノロジーと演劇って聞いた時に、うん?って。日本って、意外と「それ人」って受け入れちゃう事が多いから、どこで「舞台上に人がいない」が始まるんだろうって。

H ね。

S そこそんなに大事なのかな、みたいな。

I 人形浄瑠璃の歴史的背景と言うか、どうしてそういう形態になったのかが非常に気になっていてですね。

S 私も。あれどこからスタートなんだろう。

H 私もよく知らないな。調べてみる。

I いやこの前たまたま、僕、YCAM行った後大阪行ったんですよ。それで、アイアンシアターの

S あ!それも聞きたかったんです。

I 沖田みやこさんが、「どうして彼女は元アイアンシアターになったのか」という、経緯を、再演する、みたいなのがあって。

T あれトークじゃないんですか?

I トークっていうか、なぞるんですよ。パフォーマンスとして。

S ツアーパフォーマンス。

I その土地その土地で、色んな人が出てくる。大阪、浜松、名古屋での上演で、計5日間。僕が行ったのは、初日。何度か面識あるんですけど、陸奥賢さんっていう、大阪あそ歩、大阪の面白い所をガイド役として案内するっていうお仕事をされてる人なんですけど、その方のガイドで、大阪の悪所をめぐるっていうのをやって。その時に、劇場も悪い所にあったんですよっていう話をされて。

H おお。

I で、文楽も、処刑する首切り場の近くにあった。話も、元々実際にあった事をもとに話を作っているので、あまりにも人がやるとそれはリアル過ぎると。

Su うん。

T 心中とか。

S 心中とか心中とか心中とか。

I なので、そこを人形に仮託する事によって、婉曲的に表現しているのでは、みたいな話がありました。

H 火をつけるとか。

I そうそう。

T ひい。

Su ああ。

H 油まみれになって奥さん殺しちゃうとか。

Su あるね。

H 腹切っちゃったり。

I 当時、事件があるとすぐにそれが戯曲になる。

S そうなんだよね!

H うん。

I それがあまりにもみんな知ってる話なので生々しいと。なので人形という形態ができたっていう話があって、なるほどそうなんだと。

S 陸奥さんが、今はやられない場面があるって言ってたんだよね。

T ああ。えーと、近松の曽根崎心中で、一番最初にお初が観音めぐりをするっていう場面があるんですってね。今はその場面丸々カットされるけど、初演当時はお初が死んであまりにも日が浅かったと。だから、ここでお初に観音めぐりをさせておいて、お初を観音様にする。そういう儀式を踏まないと、お客さんが落ち着いて見られなかったと。それで、最初に、「はい、これでお初は観音様になりますよ」っていうのをお客さんに刷り込んでから、話を始める。だからそれは今は全然意味合いが違って、上演されないという話を、その陸奥さんから聞きました。

S その陸奥さんは、お墓とか観音を「めぐる」ツアーっていうのをやってる方らしいんですよ。

T 七墓めぐり。

I 七墓今年やるらしいっすよ。そう、そういう話を聞いて、僕はその前日にゲッベルスを見ていた訳ですよ。

S うん。

I 人形、とか、ま、あるいはアニメとかもそうかもしれないけど、物語ることにおいて、人ではなく、なんか別のものに語らせるっていうのはどういう事なのか、再考しなくてはいけないのではないかと。そこで一旦仮託したものを、逆に人間の側に、戻すと言うか、近づける作業は、僕はちょっと不毛な作業をやっているのではないかという気がしてしまうんですよ。

T でも歌舞伎もそれやってますよね。人形浄瑠璃で作られた戯曲を人間が。

I うん、だから僕歌舞伎面白くないなって思うのはそういう所なのかもしれない。

S ああ。

I あんまり興味ないんですよ、そこの所。

H でも結局、人形浄瑠璃でやってたのを歌舞伎でやってるのは、割と上方の方になるので、その、江戸歌舞伎、江戸の荒事系は、やっぱ、人形じゃなくて人間ありきと言うか。

I ああ。

H そういうところに違いがあるので、歌舞伎まるっとって言うのは、ちょっと、違うんじゃないかな、と。

I なるほど。

H さっき、おおっと思ったのは、結局その和事の方の、上方でやってた近松とか人形浄瑠璃でやってるものじゃなくて、忠臣蔵なんかは、結局、あまりに生々しいから名前変えてやるとか、ちょっと後になってからやるとか、そういうので人間がやるのをカバーしている。そういう違いもあるんだね、と。

S そうだね。

H そういう所の根底の違いを、今、ハッと。でも、私もそんなに詳しくないから…。調べてみる…。

S いやいやいや。でも生々しいと言えば、気になったことが二つあって。知人にサラ・ケインで修論書いてた子がいて、で、彼女ある日現実逃避で世阿弥について調べ始めて(笑)。

H へえ。

S 面白いけど、早く修論書きなよ・・・って(笑)

I (笑)

S で、世阿弥と人身売買っていう課題で調べてた時に、『隅田川』の演出方法で息子と対立してるんですって。隅田川を渡って、子供の幻影が来るっていう時に、世阿弥の方は子供を出すなと。幻の子供が見えている風にしろと。だけど息子の元雅の方は、本当に子供を使おうとしたという事で、親子で対立したらしいんですね。

I ふーん。

S で、当時人身売買は普通にあった事だから、子供を出すのが生々し過ぎるから、世阿弥は出すなって言ったんじゃないかと。ある程度、美的な完成を優先した。でも息子の方は、今これがものすごいリアリティがあるんだから出さなきゃダメじゃないかと、そういう対立をしたって聞いたんですね。

I ふーん。

S あともう一つは、実はストーリーは人形の方が伝わるんじゃないかと私は思っていて。だから人形の方から台本をもらってくる。

H 余計な事考えないもんね。

S そうそう。人間が出てくるとさ、

H 太ったなあとか(笑)。

S そこからスタート(笑)。そうなんだよね。

H どんなに年取ったおじいさんが若い娘の役をやっていても、見てればそう見えてくるんだよ、とか言うけど、いやでも(笑)。

Su うん。

H 手がプルプルしてるとか。美しい人が美しい役をやってると、はっとなるけど。なかなかそうもいかない。やっぱ生身の人間だと。お話の世界に没頭できない。そういう事を、前に歌舞伎と文楽の同じ演目を見て感じた。

S そうだよね、文楽だとお話が入ってくる。

H 語りもね、専門の人がやるから。

S 語り専門と動き専門。

H 安心して見ていられると言うか。

S でもそれってさ、歌舞伎が元々男性が女性を演じるとか、現代から見ると明らかに異形な姿が役者として美しいと言われるから起こる現象なのか。それとも生身の身体の、

要するに演劇が元々持っている

H どうなんだろうね。

T それはあの、一応演劇学の文脈では、生身の体が何かを伝えるためのメディアとしては不十分であると言う考え方がある。お話とか役を伝えるためには、そこにある体がどうしても邪魔になると。だからこそ、それをどう捉えてどう上手く使うかが演劇の課題である、という話になるんですね。だから純粋に何かを伝えるためのメディアとしては、人形だったり映像だったり文字だったりの方が、メディアとしてはよほど優れているという事になる。

S なるほどね。

T だからその肉体のプレゼンスってものをどうするか、という事にみんな頭を悩ます訳です。ただ単に何かを伝えるためなら肉体でなくていい。と言うか肉体はむしろマイナスになる。だから、じゃあ肉体を消すのがいいのか、でもあるんだから消せないし。

S でもさっきの話で、それじゃあ、肉体を消しちゃったら演劇じゃないとしたら、そもそも演劇は情報伝達としては向いてないのか、とか。

T まあ今の時代はそうだと言わざるを得ないんじゃないですかね。情報伝達のツールがこれだけ色々出てきている。だからそうじゃない方に存在意義を見出していくしかないのではないか。

S で、みんな、この一ヶ月他に何か見た?

H 青森大学男子新体操部!

S そうだ!それ、すごい気になってたの!

H すっごい良かった!

T・I・Su ???

T 何?

Su 何すか?

T それは、そういうタイトルの何か?

H そういうタイトルの、青森大学の、男子新体操部の、公演っていうのがあったんですけど、イッセイミヤケのプロデュースイベントで。

I・Su へえ。

H けっこう、多分、お得意様とかスタッフとか、ま、そういう人たちが来てて、プラス一般公募もしてた、一日限り、一夜限りのイベントで、なんかその、青森大学男子新体操部って、男子新体操界では名門らしいんですね。

S ほおお。

T 男子新体操?

H 9年だか、10年だか、連続で日本一。

一同 おお。

H だけど、日本しかその競技はない。

T ということは世界一ということ。

H 男子の新体操は、そうそうそうそう。

S (笑)

I すごいね。

Su なるほど。

H 日本一ということは、世界一。

T すごい、すごい。

H で、昔、2009年かなんかに、その創立のメンバーだった、すごい先輩が若くして亡くなってしまった。で、その人に捧げる演技みたいなのを大会でやったら、もう、濃密な素晴らしい演技ができたと。で、それが、どうもYouTubeかなんかにのって、で、世界中にシェアされて感動をよんだと。

Su ほお。

H  と、いうことらしいんですけど、こないだ、青森山田高校にも男子新体操部があるんだけど、青森山田→青森大学っていうのが、もうラインとして、名門としてあるらしい。で、そこ出身の人がシルクドゥソレイユに入って

一同 おお。

I なるほどなるほど。

H で、シルクドゥソレイユとも一緒にやってたりするらしくて。で、イッセイミヤケが、こう、社会的にサポートしていきたい、みたいな。で、私もそういうのに、全然詳しくないから全然分からないのだけど、コスチュームがイッセイミヤケ。で、何か、そうそうたる人達を集めて、男子新体操の公演をやったと。

I (パンフレットを見て)お!?おー、おー!!!

T ヘアメイク資生堂。

H うん。SABFA。でも、SABFAは学校みたいな。ま、でも、クリエイター集団ですね。

I そっ・・・か・・・。

T ドキュメンタリーフィルムディレクション?

H だから多分、これフィルム化されるんじゃないかなあ。カメラもいっぱい入ってたし。なんか・・・でもすごすぎて、私、口では説明できない。

一同 (笑)

H でも、ほら、坂田さんが好きな、身体に

S 文字を映す?

H んー、文字じゃないんだけど、ま、映像もこう上から映して、人にもあたるとか、人の動きに合わせて映像が変わるとか。オープンリールアンサンブルって人たちが周りにいて音楽をやってたり。で、ともかく、ねえ、いわゆる、体操、男子みたいな服じゃなくて、服はイッセイだし、でも、ちゃんと動ける、さすがイッセイミヤケみたいな。

一同 (笑)

I なるほど(笑)

H だからなんか、雰囲気的には、シルクドゥソレイユみたいな男子新体操・・・っていう。

S 割と見世物として成立してるみたいな?

H うん、ショーみたいな。だからもう、音も、環境音的なというか、なんか、すごかった。その内、映像が出ると思うので、見てほしい。

Su ああ。

H でも、やっぱ布が上手く使われてるので、体操でやる、台?床をひとまわり大きくしたような布が置いてあって、で、まわりにいる人が20人ぐらい、集まって、布を持ってブワッて。走るとその布がふくらんでいったり、動いて、広がったり。だから、目の前で、布が空気をはらんで、ブワァッと大きくなるっていうのは、やっぱり映像だとなかなか伝わりにくいかなとか。だから、目の前で見るショーとしても素晴らしい。けど、一日限りかこれ、みたいな。

S 少しもったいないね。私、つい考えちゃうのが、アスリート、新体操って寿命が短いんだよね。

H うん。

S バレエとかでも40歳までやると「化石」だけど、新体操って30歳くらいで「化石」なので、そこから先に何か残れる道があると良いなっていうのがずっと引っかかってた。だから、こういう機会があるのはすごい良いことだなって。でも、最近フェアリーとかの人もショーをやるみたいな動きはあるんだよね。ま、必ずしも良い面だけではないんだろうけど・・・。

I シルクドゥソレイユとかもそうだけど、いわゆるヌーヴォーシルクって言われてるようなところ?に、その、体操だとか、身体的に、できる人、それこそ中国雑技団とかの、人材が流れてるってのは、けっこう聞くよね。

S ほお。

I ヌーヴォーシルクって、頂点はシルクドゥソレイユだけど、ヨーロッパではも

う確立された。

S 確かにね、2006年くらいに、西洋現代演劇系の人に、今サーカスがアツい!っていうのは聞きましたね。日本でも群馬にサーカス学校があるとか。

Su 僕はちょっと、さっきのテクノロジーと人体で言うと、松本の空中キャバレーっていうのを今やってまして、見に行こうかなと。

S お、すごい、これは気になりますね。

Su サーカスの人を呼んでですな、やってるのが今月の28日までなんですな。

T (調べて)「演劇にサーカス・音楽が融合し、楽しくて儚いパフォーマンスが繰り広げられます。」

S こうして見ると、テクノロジー「と」身体に対して、体操とかはテクノロジー「としての」身体なのかもしれないね。